シーメンスのメンター・グラフィックス買収とデジタル・ツイン

Submitted by Shin Kai on

 

シーメンス(Siemens)によるEDA(Electronic Design Automation)大手メンター・グラフィックス(Mentor Graphics)買収は、シーメンスのビジネス戦略上、どのように位置づけられているのだろうか。この約45億ドル規模の大型買収に関しては、これを発表したのが2016年11月で、買収を完了したのが2017年の3月であるから、直近のニュースではないが、製造オートメーションと半導体設計の両方の業界を驚かせたこの買収に関して、シーメンスが今秋開催したアナリスト向けのイベント等で、その意図やその後の進展に関して報告を聞く機会が増えた。そこでそのなかからデジタリゼーションとも絡むいくつかのポイントをご紹介したい。

シーメンスは2007年のUGS買収以降、100億ドル以上を投じてLMS、Camstar、Polarion、CD-adapco などの設計・生産・検証シミュレーションのソフトウエアツール会社を買収してきた。メンター・グラフィックスの買収は、明らかにこの一連のソフトウエアツール買収の延長線上にある。

シーメンスの買収戦略

シーメンスが2007年にCAD/CAM/PLM(製造ライフサイクル管理)のUGS を買収した折に、その戦略について取材するために、当時この買収を主導していたオートメーション&ドライブ(A&D)グループ副社長のアントン・フーバー(Anton Huber)氏をニュルンベルグに訪ねたことがある。

2時間に及んだインタビューの中で、フーバー氏は、シーメンスが製造業の顧客に対して単にオートメーションのためのコンポーネンツやシステムを提供するだけでなく、これを開発設計し検証シミュレーションするツールも併せて提供していく方針とその必要性を強調した。生産プロセスを最適化し、開発・生産時間を短縮化しようとすれば、製品の設計データと生産実行システム(MES)間のデータ連携が重要になる。従来、PLM とシーメンスのMES 相互のデータには互換性がなく、そのデータ変換は容易でなく成果も乏しかった。そこで「UGS のPLM を取り込んで、実際に生産を立ち上げる前に生産シミュレーションを可能とすることで、シーメンスは顧客に向かって、製品のCAD/CAM/CAE 情報と連携したオートメーション生産の最適化が可能になり、生産時間を圧縮できる、と語れるようになる」というのが戦略であり、ここでは、PLM とMES のデータのプラットフォームの共通化が志向されていた。

当時のシーメンスには、TIA (Totally Integrated Automation: 完全統合オートメーション)の概念や、デジタル製造の用語はあったが、当然の事ながら後にインダストリ4.0 とともに広く知られるようになったデジタル・ツインの用語はまだ、取材の中に登場していない。しかしながら、それが意味する構想についての理解はすでにほぼ完成していた、といえる。現在では、UGS の買収を端緒にシーメンスが進めてきたソフトウエアツールのポートフォリオの拡張は、製品と製造ラインの最も網羅的かつ精密なデジタル・ツインの作成を可能にするための一貫した戦略として理解される。

デジタル・ツインの延伸

UGS は現在はデジタル・ファクトリー事業ユニットであるシーメンスPLM ソフトウェア部門となり、デジタル・ファクトリー事業を牽引している。同部門に属するメンター・グラフィックスでも、シーメンスPLM ソフトウェアとの間のデータプラットフォームの共通化の取組みを開始している。この共通化を進めることで、顧客は製品の設計から製造までより簡単に実行できるようになる。

シーメンスは、メンター・グラフィックスの統合によりDesign-to-Silicon のIC設計ツールとその機能検証分野に加え、PCB(プリント配線板)システム設計、組込みソフトウエア、熱流体解析および熱抵抗測定などのシステム製品分野でデジタル・ツインの提供範囲を延伸することができる。これらの設計、検証、シミュレーション、製造ツール及びソリューションは、デジタル・エンタープライズの構築に向けた業界で最も包括的なソフトウエア・ソリューション・ポートフォリオとして、遠からずシーメンスのクラウドベースの産業用IoT プラットフォームであるMindSphere上に展開されることが想定される。

シナジー効果領域と新規市場

シーメンスPLM とメンター・グラフィックスのプラットフォーム統合によって直ちにシナジー効果が期待できる分野には、製造システム分野におけるPCB 設計・製造、組込みシステムソフトウエア、配線及びワイヤハーネス設計、熱伝導シミュレーション、流体解析が上げられる。まず、PCB 設計・製造、IC 設計、組込みシステムソフトウエアの各ソリューションは、シーメンスのインテリジェント・エッジ・デバイスとIIoT の市場戦略において重要な役割を担うことが想定される。

さらに、シーメンスのSimcenter シミュレーションプラットフォームにメンター・グラフィックスの技術を融合させることで、システム設計から機械設計、物理系、組込みソフトウエアと制御、電子およびPCB 設計に至るマルチドメインの開発環境を提供できるようになる。

この一方で、IC 設計と組込みソフトウエア領域は、シーメンスPLM にとって新規分野への参入になる。メンター・グラフィックスのシステム設計顧客の3分の1以上はIC 設計の顧客と重なっており、その中には特殊SOC の開発・製造でボーイング、エアバス、レイセオン、GE、ジョンソン・コントロールズ、BMW、アジレントといった航空・防衛、自動車の大手企業が含まれる。加えて、IT大手のアップル、グーグル、アマゾン、フェースブックをはじめテスラ、ボッシュなども新たにSOC 設計・製造に進出してきている。ここに、シーメンスPLM にとって広大な新規市場が開かれることになる。

自動車設計・製造

シーメンスとメンター・グラフィックスの統合が自動車開発・製造に及ぼす影響も注目される。メンター・グラフィックスの車載E/E(電子/電気)設計ソリューション、ワイヤハーネス設計および熱流体シミュレーション技術を統合することにより、シーメンスは自動車の設計・製造分野における位置をさらに拡充・強化できる。さらに、自動運転の開発においても、先頃TASS International を買収して自動運転関連ソリューションを強化したシーメンスは、メンター・グラフィックスのレベル5自動運転プラットフォームとあわせて、開発面で優位となることが見込まれる。